ピアノの先生になるまで物語②
こんばんは⭐️茨城県龍ケ崎市にあります、矢野紫ピアノ教室です。
今日はピアノの先生になるまで物語①の続きです。
発表会でベートーヴェン悲愴ソナタ第3楽章を楽しく💦弾けた私。
(悲愴を楽しく弾いてはダメですよ!)
少しずつ音大に行きたいなという気持ちが大きくなっていきました。
毎日音楽の勉強ばかり出来たら、どんなに楽しいのだろう💕と、
胸を膨らませていました。(実際入学してから一般教養がかなりあることに
ショックを受けた私です)
小学生の内に音大に行きたい気持ちが固まりつつ、
私はその後中学、高校と吹奏楽部に入部しました💦
お気付きでしょうか。。私は深く考えない呑気な性格なんです。
部活ではクラリネットにのめり込みました。部活はとにかく楽しかった❗️
皆で演奏をする楽しさに心奪われ、若干ピアノが疎かに。。
特に中学は朝練、夕練当り前の部活で疲れて常に眠い状態でした。
体力が無いので毎日ヘトヘト。。あの頃は土曜日もお弁当持って授業の後
部活して休みがありませんでした。
何度も父に部活を辞める様に言われました。(そりゃそうですよね)
でもその時の幼い自分には気づけなかったんです。今何をすべきか。。
意地になって部活を続けた私。あの頃の私に会えるなら
色々教えてあげたいですが、まあ頑固だったので聞かなかったと思います💦
ちょっとお話が脱線しますが、ピアノ習うなら素直さって大事だと思います。
本人が素直に聞く気持ちがなければ、伸びるものも伸びません。
レッスンで先生に言われた事に納得いかなくても、是非一旦飲み込んでお家に持ち帰ってみて下さい。
2、3日して分かる事、はたまた1か月後に分かる事もあるかもしれませんよ👍
私は経験からそう思います。
話を戻します。そして中学生になったこの頃、より専門的に勉強する為、
東京の先生にもピアノを習いに行き始めました。
1人で常磐線に乗って、北千住で乗り換えて、駅からはバスに乗りました。
間違ってたまに方向違いのバスに乗ったり。。
泣きそうになりながら、茨城の田舎者の私は初めての大冒険をしていました。
中学生の時はレッスンよりも都会の人混みと乗り換えの複雑さに慣れず大変でした。
高校では後に大学で師事するピアノの先生と、楽典の先生の所にも通い始め、
4人の先生に師事していました。電車も含めてレッスンは毎回緊張して、大変
でしたが、受験に向けて突き進んでいました。充実していました。
でも、普通科の高校に通っていた私は、3年生の頃には完全に授業に落ちこぼれてましたが。。
続く
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当時苦労したバッハ様❗️汚れが物語る。。
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